沈黙を使う
でも、人の生き死は悲しいけれど、どうにもならない。
先日、子どもに先立たれた親御さんの悲しみを受け止めてきました。
「人が亡くなりました、さあ、預金、不動産の名義変更をしましょう」と言われても、そんな気持ちになれないですよね。
でも、数年前までの私は「人の悲しみを我が事のように受け止める」ことはありませんでした。
それは、肉親が死ぬということに「現実感」がなかったから。
今にして思えば、大事なものをなくさないと人として成長できない自分があまりにも幼稚であきれ返るばかりです。
悲しみに打ちひしがれる方がときおり見せる「沈黙」
「沈黙」からは何も言葉を発せられないのだけれど、かえって「沈黙」から多くのことが語られているような気がします。
目の前の相手が見せる「沈黙」に、どのように対処していいのか以前はわかりませんでした。
けれど今は、「沈黙」をもって相手が「語っている」のだと理解できるようになった。
少しわかりにくいですね。
「沈黙」の意味が理解できたり、上手く「沈黙」を使えると、他人とのコミュニケーションに変化がでます。
ちなみに、私は交渉事の時に「沈黙」を使います。